今日読んでいたコースのテキストの箇所をいくつかシェアしたいと思います。
「いろいろと遠回りの通路を通り地下を掘って暗闇に隠れ、元の姿からかなり異なる形で出てくる恐れに従う必要はない。
ただし、そんな形をすべて支配する根源そのものをあなたが持ち続けるつもりでいる限り、その一つ一つを吟味する必要があることは確かだ。
そんな形は別々のものではなく、単に同じ思いが異なった形で現れているだけで、自分の望みのものではないとみなす気になったなら、そんなものは全部一緒に消えてなくなる。」
そして、
「犠牲を払うことは攻撃であって愛ではない。」
と続きます。(P.244~245)
タイミングよく、クリスマスのことが書いてある部分を読んでいます。
「絶望的になってクリスマスのもたらす喜びを台無しにしないように、キリストの時に喜びがなければ何の意味もないのだから。
心をひとつにして、誰からも犠牲を要求することなく心の平安を喜び祝おうではないか、そうしてあなたは私が差し伸べる愛をまた私に差し伸べてくれるわけだから。
自分は何ひとつ失っていないと知覚できたときほど喜ばしいことが他にあるだろうか。」(P.247)
このページを読んでいたら、涙が溢れて来ました。特にこの部分は何度も読み返しました。
そして
「すべての関係を自分にとって神聖にしてもらうこと。これこそ我々(神・キリスト・聖霊)の意志である。」(P.247)
と続きます。
訳はすべて田中百合子さんのものです。
そうなんです、恐れは一つ一つ吟味するしかないんです。だから、とても時間がかかります。
一つやっつけても、また別の場面で違った形で出てきます。(戦うわけではないのですが、この言い方がぴったり来るのです。)
恐れの根源を持ち続ける限り、自分を見つめる作業は果てしなく続きます。
ですので、一回のカウンセリングで解放できる恐れはそれこそたかが知れています。もちろん、それだけでもだいぶ楽になった感じはつかめます。
だからといって、ある程度解放すれば、エゴが完全に消えてなくなるかといえば、それは残念ながらないでしょう。
だったらその根源を無くしてしまえたらいいのに、と思うでしょうが、これこそが最大の恐怖なんですよね。
エゴの手口は非常に巧妙です。
多くの人にとって死ぬことは怖いことです。
すべての恐怖はここにつながっています。
肉体が滅んでも、魂は死ぬことはありません。意志の疎通は可能です。
ここを克服した時、エゴの居場所はなくなります。愛だけを選択して、心の平安のなかで生きることができるようになります。
私もだいぶ楽になったとは言え、まだまだ沢山癒しの必要な部分があります。(と思っています。これも幻想ですが。)
毎日の生活の中で、恐れを感じた時にそれを無視することなくきちんと向き合うことが大切になってきます。
ひとつひとつ向き合うことで、本当の自分にいつかたどり着くことでしょう。
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2008/11/30 01:53 |
ACIM
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